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イザベラバード記念コーナー

ハイジアパーク南陽 「イザベラ・バード記念コーナー」は、明治初期、イギリスの女性旅行家が北日本の旅の途中で米沢平野に立ち寄り「東洋のアルカディア(桃源郷)」と称賛したことを記念し、「ハイジアパーク南陽」に作られたものです。
ここでは、イザベラの人物像と彼女が見た置賜像を、当時の時代背景とともに紹介していくもので、来場者はビクトリア時代の一人の女性を介して古き良き置賜・南陽に出会います。地元の人々にとって、それは、我が郷土の誇るべきルーツの発見であり、地域アイデンティティーの確認を通して郷土愛を育む絶好の機会となるでしょう。まだ「国際化」などという言葉とは無縁だった時代に、この東北の一地方都市が世界を知ったイギリスの「感性」に強烈にアピールしたという事実。それは地元の人々はもちろん、訪れるすべての人々にとって、「真の国際化とは何か」を考えていくうえでの重要なサジェスチョンを与えてくれるコーナーです。「イザベラバード記念コーナー」は、「国際化の時代」と「地方の時代」という、一見あい矛盾するかのように見える2つのキーワードを結び付ける契機となるのです。

コーナーの紹介

イサべラのモチーフ 記念コーナー写真
記念コーナーの紹介
ここでは、イザベラの人物像と彼女が見た置賜像を、当時の時代背景とともに紹介していくもので、来場者はビクトリア時代の一人の女性を介して古き良き置賜・南陽に出会います。コーナーは4つのセクションに分かれております。

アルカディア!百年前のイギリス女性が見た置賜・南陽の原風景

1、イザベラバードの見た世界
昔の地図 世界中を旅したイザベラバードの足跡を示す世界地図、彼女自身の手による紀行図書などを中心に、女性旅行家として、女性で初めて英国地理学会特別会員に選ばれた彼女の人物像を紹介します。
2、東洋のアルカディア置賜・南陽
昔の南陽市内の写真 「日本奥地紀行」の中で、美しい田園風景が広がる米沢平野、湯治客で賑わう赤湯など置賜に関する記述や地図、写真による風物の今昔比較などを通して、イザベラバードが出会った百年余り前の置賜の様子を紹介します。
3、イザベラバードの「日本奥地紀行」
昔のイラスト 太平洋を横断する長い船旅の末に、1878年に横浜に上陸しました。そして当時外国人にはほとんど知られていなかった「北日本」へと旅だったのです。その「日本奥地紀行」にもとづく旅程図や、風物スケッチなどを紹介します。
4、イザベラバードの生きた時代
コーナーの写真 イザベラバードの生きた時代は、ビクトリア女王の治世下、いわゆるビクトリア時代に重なります。当時のイギリスの一般的な女性ファッションや旅行道具・年表などにより、イザベラバードが生きた時代とそこでの彼女の位置づけを紹介します。
☆お問い合わせ
山形県南陽市上野1855−10
TEL 0238−45−2200
☆営業時間 :午前10時〜午後9時30分
☆休館日:毎週月曜日(祝日の場合は、休まず営業)
☆「ハイジアパーク南陽」本館利用の方は御自由に鑑賞できます。

イザベラバード女史について

1831年10月31日、英国ヨークシャーのバラブリッジに生まれる。父エドワード、母ドーラ。23歳(1854年)の時に、医師の薦めで、アメリカ、カナダを訪れる。これを契機に、72歳(1904年)まで、通算30年に亙る世界各地への旅行を行う。女史が旅行した地は、ロッキー山脈、サンドウィッチ島、日本、マレー諸島、カミュールとチベット、ペルシャ、韓国、中国等。明治11年の6月から9月にかけて、47歳(1878年)の時に、東北、北海道を旅行し、この時の記録を1880年10月に「日本奥地紀行」(原題「日本の未踏の土地」)(2巻)として出版する。世界各地の辺地旅行記の出版などの功績が認められ、62歳(1893年)の時に、英国地理学会(ROYALGEOGRPHICAL SOCIETY)の特別会員に選ばれる。 イザベラバード

家庭環境

 父エドワード・バードは、当初インドのカルカッタで弁護士をしていたが、後にバラブリッジのオールドバラの牧師補となり、当時ヨークシャーでも名家のドーラ・ローソンと結婚(1830.8.11)。その後チェシア州のタッテンホールの教会の牧師を8年間務めバーミンガムのセントトーマス教会の牧師となる。大都会のほぼ中心に位置する教会で、比較的富裕な人の住む地区に居を構えていた。6年間務めたが病気のために比較的閑静な環境を求めハンチンドンシャーのワイトンの教会に移った。ワイトンの牧師館で親子4人と家政婦及び牧師を含む8人の生活をおくり64才で病没(1857.5.19)。母ドーラローソンは現在も富裕な名家であるローソン家の7人兄弟の2番目の娘として生まれた。彼女の叔父の多くも牧師や宣教師等の知識階級であった。幼少時代のイザベラを教育したのはほとんど母親であった。ワイトンで父の死後、家族3人でエジンバラに居住地を移した。1866年に死亡。父が聖職者ということで、幼いときから転々と居住地をかえた。そのことでいろんな地域を見ることができ、ほとんど大人(知識人)の中で教育された。小さい頃から宗教的雰囲気の中で育った。

イザベラバード略年

1831年10月15日 ヨークシャー(YORKSHIRE)のバラブリッジ(Boroughbridge )で誕生。
1834年(3歳) チェシア(Cheshire)のタッテンホール(Tattenhall)に移る。
1842年(11歳)バーミンガム(Birmingham)に移る。
1848年(17歳)ハンチンドンシャー(Huntindoshire)のワイトン(Wyton)に移る。
1850年(19歳)病気が重くなり手術を受ける。
1854年(23歳)医者に航海を薦められ、アメリカとカナダを訪れる。
1856年(25歳)旅行記「英国女性から見たアメリカ」(「The Englishwoman in America」)をマレー書店から出版。
1857年(26歳)再度アメリカに行き翌春帰国。まもなく父病死。
1859年(28歳)エディンバラ(Edinburgh)に住む。宗教的社会活動に従事。
1860年(29歳)スコットランド西海岸やヘブデーズ諸島を訪れる。
1866年(35歳)母病死。
1872年(41歳)7月にエディンバラを出発しオーストラリアへ向かう。
2ヶ月間当地に滞在し、11月にニュージーランドに向かう。
1873年(42歳)1月にハワイ諸島に向かう。7ヶ月間滞在する。アメリカに渡りロッキー山脈の療養所で数ヶ月間過ごす。
1875年(44歳)「ハワイ諸島の6ヶ月」(「Six Months in the Sandwich Islands」)をマレー書店から出版する。
1878年(47歳)日本に向かって出発。アメリカを経由して、5月に上海着。横浜に向かう。横浜でオリエンタルホテルに2日間宿泊し、汽車で東京へ行き、英国公使館に滞在。6月中旬、日光を訪れ、東北北海道旅行に入る。9月に東京へ帰る。12月に香港に向かう。
1879年(48歳)1月にマレー半島を5週間旅行し、2月にカイロへ向かう。5月に帰国。「A Lady's Life in the Rocky」出版。
1880年(49歳)6月に妹ヘンリエッタ病死。8月にスイスで静養。10月に「日本奥地紀行」(「Unbeaten Tracks in Japan」)2巻出版。12月にビショップ博士と婚約。翌年3月に結婚。
1883年(52歳)「マレー半島紀行」(「The Golden Chersonese」)出版。
1886年(55歳)夫ビショップ博士死去。
1889年(58歳)2月にチベットとペルシャを旅行するため英国を出発。3月にインドのカラチに到着。ラホールを経てカシミールに入り、4月にスリラガル着。医療伝道のため亡き夫を記念して病院を建設。カシミールから西チベットに入り、3ヶ月滞在。10月に山を下ってシムラへ行く。医療伝道のためアムリッツァに妹を記念してヘンリエッタ病院を建設。12月にラホールに戻り、カラチへ汽車で行く。汽船でペルシャ湾に入り、バグダッドに行く。
1890年(59歳)1月にキャラバン隊を組織してペルシャ湾に入る。2月にテヘラン到着。困難なペルシャ旅行をして12月に黒海に出る。行程2500マイル。舟でコンスタンチノーブルに向かい年末に帰国。
1891年(60歳)スコットランド地理学会(RSGS)特別会員に推される。12月に「ペルシャクルジスタン旅行記」(「Journey in Persia and Kurudistan」)出版。
1894年(63歳)1月に極東へ旅に立つ。カナダを経由し横浜着。神戸に寄港し朝鮮に向かう。朝鮮旅行を終えて6月に満州に入る。奉天を経て、天津、北京に行く。日清戦争の戦乱を避けるためにウラジオストックに向かい、11月に到着する。12月に長崎、大阪、京都へ行く。
1895年(64歳)1月に再び朝鮮を訪れる。2月に上海、香港に行く。夏を日本で過ごす。7月に伊香保温泉に滞在。12月に再び朝鮮を訪れ、さらに上海に向かう。
1896年(65歳)1月に揚子江を船でさかのぼり、5ヶ月間に渡り中国西部を旅行する。6月に上海に帰る。夏は日本で静養。日光湯元温泉に滞在。10月に再び朝鮮を訪れる。3月に帰国。
1898年(67歳)1月に「朝鮮とその隣国」出版。
1899年(68歳)11月に「揚子江とその奥地」出版。
1901年(70歳)6ヶ月にわたりモロッコ旅行。
1904年10月7日病没。享年72歳。

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