南陽市の代表的な板碑

 

南陽市の代表的な板碑 



南陽市内の代表的な板碑

永仁二年磨崖板碑


赤湯の東正寺の東、切り立った崖に五基の板碑が横ならびに彫られている。永仁二年(1294年)は鎌倉時代で、置賜地方が地頭長井氏の支配下にあったころです。この板碑は、亡き平吉宗と父母の供養のため、また自らのため生前に仏事を修め、極楽往生を願ったものです。(山形県指定有形文化財)
 
板碑群 板碑拡大
磨崖板碑上段の板碑群 板碑拡大(右側の板碑に平吉宗の名がある)
板碑 永仁二年磨崖板碑は急な崖に刻まれているので、斜めからの写真しかとれません。伊達政宗とゆかりの深い、赤湯東正寺の東側にあります。

嘉暦二年大日板碑

板碑の写真
竹原の龍雲院の裏山斜面に直立する。碑面の上部にバン(金剛界大日如来)の種子を薬研彫に刻む。嘉暦二年(1327年)は鎌倉時代末期にあたる。実に雄大で均整のとれたもので、少しの破損もない板碑である。(山形県指定有形文化財)


南北朝動乱の時代。
南朝と北朝に分かれて争った歴史を秘めた板碑です!
 

板碑の写真

正慶二年阿弥陀板碑・永仁□年阿弥陀板碑


 右側が正慶の板碑で、左側が永仁の板碑です。ともに碑面の上部にキリーク(阿弥陀如来)の種子を刻んでいます。永仁は鎌倉時代中期ですが年月は摩滅しています。正慶二年(1333年)は南北朝時代初期の北朝年号で、南朝の元弘三年にあたります。この板碑は正慶二年2月に建てられました。楠正成が千早城で鎌倉幕府軍と戦っていた頃にあたります。
(ともに山形県指定有形文化財)
 
板碑の写真

元弘三年阿弥陀板碑

 松沢の八幡神社入口に立つ。元弘三年10月に建てられた。碑面の上部にキリーク(弥陀)、一段下げてサ(観音)、サク(勢至)の種子を薬研彫にしている。元弘三年(1333年)は南朝年号で、この年の5月には鎌倉幕府が滅亡しています。
(山形県指定有形文化財)
板碑の写真

文和三年阿弥陀板碑

 漆山の字大仏に立つ。その地名のとおり大きな板碑で、高さは4.24m、山形県内第2位の巨大な板碑です。碑面には弥陀を表す大きな種子(キリーク)と蓮華台座が刻まれています。文和三年(1354年)は南北朝時代の北朝年号です。(山形県指定有形文化財)