「友好都市」中国南陽市との交流


「友好都市」中国南陽市との交流

南陽市は昭和42年4月1日に、当時の赤湯町・宮内町・和郷村の2町1村が合併し、山形県内で13番目の一番若い市として誕生しました。
新しくできた市の名前をどうするかについて様々な意見が出されましたが、「南陽」は当時の県知事、故安孫子藤吉氏よりいただいた名前です。
知事は、「南陽」は古来中国で用いられた地名で、「北に丘陵、南に沃野、まことに住み良いところ」と土地柄を表現し、「不老長生の霊泉菊水の流れる河南省の南陽」が代表である。また、わが国民にも古来から深い興味と関心を呼び起こす「南陽の菊水」は、「太平記」にもでてくる。この「南陽」によって2町1村の良識が、年来の懸案を解決して三位一体、九十九鱗悉く宇宙時代の大活躍を示してもらいたい。と命名の意味を結んでいます。
このようにしていただいた、市名が同じという由縁により昭和59年7月に「中国南陽市を訪問する会」が中国南陽市を表敬訪問したことから交流がはじまり、訪問、招聘を重ねた結果、昭和63年10月6日に中国河南省南陽市にて、中国南陽市と友好都市を締結しました。

中国南陽市からの贈り物

令和4年3月25日に中国南陽市から、河南省に関わる本15種類が各2冊ずつの合計30冊が当市に届きました。本は、中国語と英語の両方で書かれています。長年にわたる河南省との交流の証としてプレゼントされました。
届いた本は市立図書館に配架しましたので、ご覧ください。




「友好都市」中国南陽市の紹介


右の関連情報をご覧ください。

交流経過
 

1984年7月10日から7月21日

 殿岡収入役を団長とする「中国南陽市を訪問する会」の会員23名が中国南陽市を表敬訪問。

1985年6月3日から6月18日

李宝興副市長を団長とする5名の訪日団を本市で招待、友好都市締結に向けた友好交流と、隔年毎の両市代表団の派遣を確認。

1986年9月16日から 9月30日

渋谷教育長を団長とする5名の訪中団を中国の招待により派遣、今後の具体的な友好交流等について協議。

1987年10月12日から10月21日

竹田収入役を団長とする「市名発祥の地友好訪問・南陽市民のつばさ」の会員30名が中国南陽市を訪問、昭和63(1988)年秋の友好都市締結、中国南陽市技術研修生の受け入れを確認。

1988年5月16日から5月27日

 騫振永常務副市長を団長とする5名の訪日団を本市で招待、10月上旬に中国南陽市において友好都市を締結することの覚書を交換。

1988年10月3日から10月12日

大竹市長を団長とする15名の訪中団を中国の招待により派遣、10月6日に友好都市を締結。(全国で108番目、県内で山形市に次いで2番目)

1989年3月3日から1990年3月6日

友好締結後の具体的な友好交流事業として、語学1名、農業2名、工業2名の技術研修生を受け入れる。

1989年10月11日から10月19日

張清波副市長を団長とする4名の訪日団を本市で招待、今後の具体的な友好交流等について協議。

1990年10月4日から10月13日

鈴木総務課長を団長とする15名の訪中団を中国の招待により派遣、第2次研修生(6名)の受け入れ、今後の友好交流方策等について協議。

1990年11月26日から12月1日

日中友好協会創立40周年記念日中友好都市交歓卓球大会に6名の選手団を北京に派遣、友好都市の交流並びにスポーツの交流を深める。

1991年6月23日から 7月2日

李宝興市長を団長とする5名の訪日団を本市で招待、今後の友好交流等について協議。

1992年8月19日から8月28日

滝沢助役を団長とする15名の訪中団を中国の招待により派遣、友好都市締結5周年記念事業、経済技術交流等について協議。

1992年10月3日から10月9日

馬風鳴副市長を団長とする3名の代表団を、本市で第47回国民体育大会(べにばな国体)に特別招待する。

1992年10月15日から10月21日

郭慶之南陽市障害者連合会名誉会長を団長とする3名の選手団を、本県で開催された全国身体障害者スポーツ大会に特別招待する。

1992年11月29日から12月4日

日中国交正常化20周年記念日中友好都市交歓卓球大会に6名の選手団を北京に派遣、友好都市の交流並びにスポーツの交流を深める。

1993年5月18日から5月27日

孫蘭卿南陽地区常務副専員を団長とする5名の訪日団を本市が招待、今後の友好交流方策等について協議。

1994年10月3日から10月12日

佐野教育長を団長とする10名の訪中団を中国の招待により派遣、今後の文化交流の方策等について協議。

1995年3月31日から1996年3月19日

縫製(1名)・電子(2名)・果樹(2名)の計5名の研修生を受け入れる。(第2次研修生受入)

1995年10月4日から10月10日

崔銀太副市長を団長とする8名の訪日団を本市で招待、今後の友好交流等について協議。

1996年7月12日から7月17日

三重県で開催された、日中友好都市会議に黄玉鈞副市長を団長とする中国南陽市代表団とともに笹木助役他2名が参加。同会議終了後、本市に代表団4名を招待し、今後の交流事業について協議。

1996年8月5日から9月9日

友好交流事業の一環として、中国南陽市に胸部検診車を寄贈。8月5日山形を出発し、海路経由で9月9日に中国南陽市へ到着。

1997年8月25日から8月30日

日中国交正常化25周年記念日中友好都市ジュニア卓球大会に7名の選手団を北京に派遣、高校生による友好都市の交流並びにスポーツの交流を深める。

1997年10月8日から10月14日

市制施行30周年及び友好都市締結10周年を記念して、大竹市長を団長とする87名の訪中団「南陽市民のつばさ」を中国の招待により派遣、市代表団・中学生訪問団・市民訪問団のそれぞれが友好交流を深める。市代表団は今後10年を見据えた交流のあり方を協議、また中学生訪問団は初の中学生交流を実現し成功させる。

1997年10月10日から11月10日

市制施行30周年及び友好都市締結10周年を記念して、中国南陽市より恐竜の卵化石を借用し、武候祠の写真パネル、漢代画像石拓本等とともに展示し、中国南陽古文化展を菊祭り会場とハイジアパーク南陽にて開催した。

1998年4月7日から10月3日

縫製(2名)、電子(2名)、加工食品(2名)、製靴(2名)の計8名の研修生を受け入れる。(第3次研修生受入)

1998年11月18日から11月25日

初の民間交流として、南陽市卓球協会総勢16名が中国南陽市を訪問。交流卓球大会等を通じ友好を深める。

2000年4月14日から4月21日

経済交流の一環として、中国の招待により河南省経済と貿易相談会へ参加。市内企業代表4名とともに後藤収入役を団長とする訪中団が中国南陽市を表敬訪問した。

2001年10月5日から10月14日

何東成市長を団長とする9名の訪日団を本市が招待、市内視察や友好交流等について友好会談を行う。

2002年8月2日から8月7日

日中国交正常化30周年記念日中友好交流都市卓球交歓大会に、5名の選手団を北京へ派遣、友好都市の交流並びにスポーツの交流を深める。

2003年8月1日から8月8日

南陽市卓球協会が訪中し、中国南陽市との卓球交流を予定していたが、SARSの感染が心配されたため中止となる。

2004年7月31日から8月7日

民間交流として、南陽市卓球協会総勢9名が中国南陽市を訪問。交流大会等を通じ友好を深める。

2005年7月28日から7月30日

南陽市卓球協会が中国南陽市外事弁公室の職員を招待し、交流を深める。

2007年10月25日から11月1日

塩田市長を団長とする「中国南陽市訪問団」団員6名が中国南陽市を訪問。両市の交流を深めるとともに、経済、文化、スポーツ等各分野での一層の交流を深めることについて覚書を取り交わす。

2007年11月21日から11月28日

南陽市卓球協会が主催となり中国河南省南陽市の卓球上級コーチ2名を招聘し、卓球の指導、模範試合、東京視察等により交流を深める。

2011年2月16日から2年23日

民間交流として、南陽市卓球協会員等で構成する訪問団11名が、中国南陽市を訪問し友好交流を深める。

2012年8月16日から8月21日

日中国交正常化40周年記念日中友好交流都市中学生卓球交歓大会に中学生2名を含む5名の選手団を派遣。卓球を通して日中両南陽市の次代を担う青少年の友情を育み、中国南陽市との友好の絆を深めた。

2015年10月15日

青年交流事業であるJENESYS2.0を通じて来日した中国高校生訪日団のうち、33名の受入れを行った。「ぶどう」のもぎ取り体験、「花笠踊り」の体験をしていただき、日本、山形への関心を深めていただいた。

2017年8月3日から8月8日

日中国交正常化45周年記念日中友好交流都市中学生卓球交歓大会に中学生2名を含む5名の選手団を派遣。卓球を通して日中両南陽市の次代を担う青少年の友情を育み、中国南陽市との交流並びにスポーツの交流を深めた。

(更新日:令和4年4月12日)