市制施行50周年を迎え、記念式典を行いました

市制施行50周年を迎え、10月8日(日)に、シェルターホールなんようにおいて、記念式典を開催しました。

【南陽市 市制施行50周年記念式典式辞】

日時:平成29年10月8日午前10時
場所:シェルターなんようホール

 本日ここに南陽市市制施行50周年記念式典を開催するにあたり、公私共ご多忙のなか、多数のご来賓の皆様のご臨席を賜り、そして、未来の南陽市を担う市内中学校の生徒の皆さんにご参列いただき、かくも盛大に挙行できますことに、心から厚く御礼申し上げます。

 我が南陽市は、昭和42年4月1日に旧赤湯町・宮内町・和郷村の二町一村が合併し、県内で13番目の最も若い市として誕生しました。

 「南陽市」という名称は、当時の安孫子藤吉山形県知事の命名であることは広く知られていることでありますが、実は難産の末の命名でありました。新しい市の名称について、当時の赤湯町からは「赤湯市」、宮内町からは「置賜市」、和郷村からは妥協案として「赤湯・宮内市」という案が出されましたが、中々合意が得られず、市の名称を知事に白紙委任することとなりました。

 新市誕生の約1年前である昭和41年2月、二町一村の町村長と議会の正副議長が安孫子知事の知事室に招かれ、新しい市の名称を「南陽市」とすることが知事から示されました。

 知事は命名の趣旨、理由を次のように述べました。新市名「南陽」は、「北に丘陵、南に沃野、まことに住みよいところ」と、土地柄を簡単明瞭に示しており、またこの名称は、「山河の美と天恵の豊かさとを適切に表現している」「県南の要地たることを明示する」「古雅にして清新である」「全市民の親和を促がし、発展の意気を鼓舞する」名称である。そしてこの新市名のもとに「赤湯の霊泉も、宮内の芳菊も、和郷の嘉穀も一斉に輝きを増す」と結ぶと、二町一村とも全く異議なく了承し、南陽市として出発することが決まりました。

 さて、今日までの50年の歩みを振り返ってみますと、合併した年の6月には白竜湖が湖の底を現すほどの水飢饉に見舞われ、水田には亀裂が走り、給水不能により自衛隊の救護を仰ぎました。8月には逆に激しい豪雨に見舞われ、甚大な被害を受けました。のちに「羽越水害」と呼ばれる山形県未曽有の大災害です。このように苦難の歴史から南陽市は始まりました。

 しかし南陽市の誕生の翌年には、市民会館や市立総合病院、現在の公立置賜南陽病院が建設され、昭和48年には、漆山地区に造成された「西工業団地」において誘致企業が操業を開始しました。市制施行10周年の昭和51年には、お手元のしおりに掲載しております「南陽市民憲章」が制定されました。市民の総意を市民憲章に反映するため、広く案文を募ったところ302件の案が寄せられ、それらのなかから選定された案文をもとに作成されたのが現在の南陽市民憲章であります。

 市民憲章をご覧いただきますと、前文の結びは「まもります」、また本文の結びは「つくります」となっております。これには当時異論が出て、「まもりましょう」「つくりましょう」とやさしく、丁寧に表現したほうがよいという意見もあり、審議に時間を要しましたが、その結果「ちかい」の意味をこめた現在の表現に落ち着いた、というエピソードもありました。

 市民憲章は、その後の市内の小中学校の教育目標の設定、社会教育振興の方針設定にも重要な指針となりました。

そして市制施行から15年後の昭和57年には、現在の南陽市役所の市庁舎が完成。昭和60年には赤湯商工会、宮内商工会、和郷商工会の3商工会が合併し、現在の南陽市商工会が発足して本市経済発展の礎が築かれました。

 また、南陽市のキャッチフレーズはご存知の通り「菊とぶどうといで湯の里」ですが、昭和59年、南陽市基本構想策定当初は「菊とぶどうとロマンの里」だったことをご記憶の方もいらっしゃると存じます。当時の南陽市振興審議会などからの意見をもとに昭和63年から「菊とぶどうといで湯の里」となりました。

 昭和62年には山形県人東京南陽会が設立。平成4年にはべにばな国体が開催され、ソフトボール、ライフル射撃の会場となりました。

 平成22年4月には赤湯・宮内・沖郷の統合3中学校が開校し、本市学校教育の新たな歴史を刻み始めました。

 平成25年26年には、二年連続で豪雨による甚大な被害を被りました。その際には全国から多くのボランティアが駆けつけてこられ、国や県、近隣自治体など、各方面から温かいご支援をいただき、市民生活の再建が成し得たことは、私たち全ての南陽市民の心に刻まれております。改めてご支援・ご厚情に深甚なる感謝と御礼を申し上げますとともに、現在も続く吉野川織機川の災害関連事業及び河川災害復旧等関連緊急事業等の迅速かつ着実な進捗を関係機関の皆様にお願い申し上げます。

 この災害を契機に、平成27年には新潟県燕市と災害時相互応援協定を締結致しました。そして同年10月、南陽市文化会館がオープンし、翌年には世界最大の木造コンサートホールとしてギネス世界記録に公式認定され、現在はシェルターなんようホールとして多くの方から親しまれております。

 このように、これまで幾度と無く自然災害や、幾多の困難に見舞われながらも、今日の本市の姿があるのは、それぞれの時代において、将来の南陽市の発展のためにひるむことなく尽くしてこられた先人の皆様のたゆまぬご努力の賜物であり、私たちは、心から敬意と感謝を表するところでございます。

 この積み重ねてきた歴史、先人の偉業を、今を生きる私たちが、大いなる夢を持って引き継いでいく責任があります。中学生の皆さんには是非その中心となって活躍をいただきたい、そんな願いを込めて本日ご参加いただきました。

 現在本市におきましては、「子どもを産み育てやすいまち」、「年をとっても安心して暮らせるまち」、「人が集まり賑わうまち」を目指し、防災、子育て支援、放課後子ども総合プラン、高齢者施設の整備、南陽病院の改築、産業の振興、雇用の拡大、ぶどうやワイン・ラーメンなどを活かした地域活性化など、本市の将来を見据えて様々な施策を展開しております。これまでの歴史、先人の営為を踏まえ、次の世代に責任を持って本市を継承できるよう持続可能な市政運営に全力を傾注し、皆様とともに邁進してまいります。輝かしい南陽市の未来、100周年に向かって今後ともより一層のお力添えを賜りますようお願い申し上げます。

 結びに、ご来賓をはじめご臨席賜りました皆様と市民の皆様のご健勝とご多幸を祈念申し上げ、式辞といたします。

平成29年10月8日 南陽市長 白 岩 孝 夫   

 


【H29.10.8更新】