P2-5 秋葉山林野火災から1年 秋葉山の森林再生に向けて◆農林課林務係(☎40-8320) 令和6年5月に発生した秋葉山林野火災からまもなく1年。新緑の季節を目前に、秋葉山でも若葉が芽吹きはじめています。秋葉山の再生を後押しし、多くの方に愛される山として復興するため、被災木の除去や新たな苗木の植栽など、焼損箇所を図のような3つの区域に分け、森林の回復状況を確認しながら、関係機関とともに森林再生に取り組んでいきます。 林野火災約122ha 全層焼失約2ha 上層損失約30ha(全層焼失2haを含む) ①秋葉山荘跡地周辺 焼損被害が大きい秋葉山荘跡地周辺については、特に倒木の危険がある区域(約1.0ha)について、今春早々に伐倒処分を実施します。また、林野火災が起きたことについて、市民の皆さんに関心を持ち続けてもらうため、市が実施主体となって、年度内に市民参加型の植樹事業を実施します。 ②秋葉山北西側 令和7~8年度の2か年にわたり、米沢地方森林組合が主体となり、森林再生等の事業を実施する予定です。 ③秋葉山南側 この春の芽吹き状況を確認し、上層焼失したエリアのゾーニング(区分け)を再調整したうえで、より具体的な計画を検証しつつ、再生に向けたゾーニング計画(農地や一部砂防工事関係地、困難地を除く)を整理し、対象区域の再造林を目指していきます。 ◆秋葉山再生連絡会議の開催 山形大学の野堀嘉裕名誉教授をアドバイザーに招き、国、県、森林組合および市関係課による再生連絡会議を毎月開催して、現状認識を共有し、助言指導をいただきながら、森林再生に向けた課題解決に取り組んでいます。また、同時期に林野火災が覚知された高畠町との合同プロジェクト会議も開催し、再生に向けた情報共有を図っています。 【会議の開催状況】 令和6年6月14 日㈮第1回開催      7月18日㈭第2回開催【アドバイザー委嘱】      8月26日㈪南陽市・高畠町合同、林野火災再生プロジェクト会議      9月26日㈬第3回開催【現地確認調査】 10月25日㈮第4回開催  11月22日㈮第5回開催【市民関係者等意見交換会】 令和7年1月24日㈮南陽市・高畠町合同、林野火災再生プロジェクト会議  3月4日㈫第6回開催 秋葉山と私たちのこれから 地区の財産として、信仰の対象として、心を豊かにする趣味のフィールドとして―。秋葉山は様々なかたちで地域の皆さんとつながってきました。林野火災から1年が経過するにあたり、それぞれの立場で秋葉山に関わりを持つ皆さんから、それぞれの秋葉山との関わり方や、生まれ変わる秋葉山への思いなどについて、お話を伺いしました。 市宮内財産区管理会 会長 粟野昭一さん 復興に向けて協力していきたい 秋葉山は、小学校で登山をするなど、宮内の人にとっては大切な山です。今回は本当に大きな規模の山林火災で、風で燃える方向も変わり、消火活動にあたられた皆さんも本当に大変だったと思いますが、人家に被害がなかったというだけでも不幸中の幸いだったと思います。一方で、山自体については、昨年5月の末時点で、すでに芽ぶきが見られていました。改めて自然の持つ回復力・生命力は強いなあと感じたところもありました。宮内財産区には、秋葉山のほかにも山がありますが、それぞれの山に、地域ごとのお社があって、いずれも山岳信仰の対象ともなってきた山々です。昔の人たちが石を担いで登ったりしながら建てたと思うと、古くから山と地域がつながってきているわけで、そうした歴史や文化は今後も大切にしなければならないと思います。そういった意味でも、林野火災が二度と起きないように、我々も含め、みんなが注意していかなければならないと思いますし、秋葉山がより多くの人に愛されるように、復興に向けて財産区としても協力していきたいですね。 宮内 新町地区 地区長 小関 雄一 さん ふるさとを感じられる山に秋葉山の山頂にある秋葉神社は、慶長年間に板垣作衛門兼定が創建したと伝えられています。兼定は、慶長3年(1598年)の上杉景勝の会津移封に伴い、宮内の宮沢城に入城した尾崎重誉の家臣です。宮内の秋葉神社は、遠州(現在の静岡県西部)秋葉山の秋葉神社から分祀され、祭神は火除け・火伏の神「カグツチノミコト」とされており、山頂のほこらは板垣家の方向を向いて建てられました。現在、神社は新町地区が管理しており、毎年5月の第3週に祭礼を行います。土曜日は新町で祈祷をし、翌、日曜日に秋葉山に登って祭礼を行います。かつては地区の子ども達も一緒に登山を楽しむなど、秋葉山は身近な存在でした。そうした経過もあって、林野火災が起きた時は神社の安否についてとても心配になりました。そんな中、消火活動にあたっていた新町の消防団員の方ら、神社が無事だという報告を受け、写真も見せていただきました。周囲が黒焦げとなる中、ほこらも、ほこらにかけられた赤い布もきれいな状態でした。びっくりするとともに、今回の林野火災が、住宅や人への被害がなくて済んだことも、秋葉神社が守ってくれたものと感じています。今回の火災で、秋葉山が大切なものであることを改めて感じることとなりました。そういう意味では、今後も神社を守り続けてくための、一つの大きな出来事であったと感じています。元の秋葉山に戻すのはなかなか難しいのかもしれませんが、新町の守り神である秋葉神社はこれからも大切にしていきたいですし、この林野火災をきかっけに関係者だけでなく、いろいろな人に秋葉山に登ってもらいたいと思います。林野火災の後に宮内中学校の同級会があったのですが、やはり秋葉山が話題となりました。当時の校歌と応援歌の中に「秋葉山」が出てくるのですが、みんなで歌って当時を思い起こしました。火災の前までは宮内小学校でも秋葉山登山があったとお聞きしていますが、これからも、秋葉山が、みんながふるさとを感じられる山であり続けてほしいと思います。 南陽山の会 会長 佐々木義博さん 子ども達がまた登れる秋葉山に南陽山の会では、秋葉山登山者のガイドをはじめ、登山道の整備や今回の火災で焼けてしまった山荘の管理もしていました。秋葉山(標高561m)はいわゆる里山で、低山の部類にあたるのですが、その割には展望が良く、ヒメサユリやイワカガミなどの高山植物が見られることもあって、東京や仙台などからも団体の登山者がいらっしゃっていました。特にヒメサユリは登山道の両脇から道に覆いかぶさるように咲く年もあり、貴重な山・環境だったと思います。山荘も、登山者などが雨宿りや休憩の際に、無料で自由に使えるようになっていました。山荘の中にはノートを置いていて、訪れた人が登山の感想などを自由に書いてもらえるようにしていました。山荘の前からの展望を見て、「ふるさとが見えてホッとした」と書かれた記録もあって、南陽市を離れてしまった人たちも、帰省の際に秋葉山に登ってくれているんだなと思うと、うれしくなったものです。林野火災の際は、14時頃に火災に気づき、その後、テレビで山荘の下方の林が燃えている映像を見て、山荘が燃えてしまうことを覚悟しました。消防関係の皆さんにも頑張っていただきましたが、水利の把握や消防自動車の移動範囲など、林野火災の消火活動の難しさも改めて感じました。秋葉山が元通りに戻ることは難しいと思いますが、もし植樹などをするとしたら、その植物があまり手をかけなくても生長していけるような木を選んでいただけたらと思います。山荘の前の広場が、良い展望台になってくれるといいですね。幸いにも登山道は無事で、現在も登ることができます。火災の前までは、宮内小学校の子ども達が毎年登山をしてくれていました。今後、秋葉山が少しずつ緑を取り戻していって、数年後、子ども達がまた秋葉山に登ってくれることを願っています。実は、今年もすでに団体の登山者からガイドの依頼が寄せられています。残念ながら山荘はなくなってしまいましたが、山の会としてもこれまでと変わらず、秋葉山の登山ガイドや登山道の整備などを続けて、仲間で秋葉山を見守っていきたいです。