名誉市民

名誉市民


 南陽市名誉市民の称号は、南陽市名誉市民条例に基づき、市民又は本市と特別に縁故の深い方で、政治、教育、文化、産業経済、その他広く社会の進展に貢献し、その事績が特に優れ、市民から等しく郷土の誇りとして深く尊敬されていると認められる方に贈られます。
 これまで4名の方にその称号が贈られています。

 

1 芳武 茂介(よしたけ もすけ)氏



 明治42年11月12日生
〇名誉市民となった主な功績
 東京美術学校工芸金工科(現・東京芸術大学)卒業後、商工省工芸指導所(現:通産省製品科学研究所)に入所、日本各地の伝統工芸を中心に日常生活に密着した手仕事の製品の重要性を唱えられ、特に山形鋳物など工芸技術の振興発展に貢献されました。
 また、日展審査員を努めるかたわら、日本クラフトデザイン協会を創設し、工芸技術の向上に貢献するとともに、大学教授として後継者の育成に努められて、日本の代表的なクラフトデザイナーとして活躍されました。

 

2 川﨑 暢(かわさき のぼる)氏



 昭和15年10月12日生
〇名誉市民となった主な功績
 慶応大学卒業後、川﨑電気(株)に入社し、初代社長の跡を継いで国内の配電業界のトップメーカーとしての地位を築き、業界の振興に寄与するとともに、本市産業の振興発展に大きく貢献されました。
 また、経営の健全化を図るためにNPS(ニュープロダクションシステム)研究会に入会し、会社独自にKCD(カワサキコストダウン)方式を導入して作業行程の改善を行い、経営の合理化に努めながら国内に多くの工場や営業所を設け、配電業界の大手メーカーとして発展を遂げています。
 

3 須藤 恒雄(すとう つねお)氏



 明治42年8月25日生
〇名誉市民となった主な功績
 福島高等商業学校(現:福島大学)卒業後、吉野石膏製造所に入社。先代社長の跡を継いで、昭和39年、吉野石膏株式会社社長に就任、省エネ、不燃の住宅建材として耐火ボードを開発し、業界のトップメーカーとしての地位を築きました。
 また、石膏ボード工業会会長、日本石膏ボード工業組合理事等を歴任し、石膏ボード業界の発展に尽力されました。

 

4 結城 豊太郎(ゆうき とよたろう)氏



 明治10年5月24日生
〇名誉市民となった主な功績
 東京帝国大学卒業後、日本銀行に入行、日本興業銀行総裁、日本商工会議所会頭などを経て、昭和12年大蔵大臣兼拓務大臣に就任されました。また、日本銀行総裁などを歴任され、戦前戦中の日本経済の金融政策を支えてこられました。故郷、赤湯への思いを寄せ、上水道の整備や、「風也塾」、「臨雲文庫」など私費を投じて開設し、若者たちの育英事業等に尽力されました。