「友好都市」中国南陽市の紹介


中国河南省南陽市

北緯32度5分東経112度に位置し、日本との時差は1時間遅れ。中国の中央部に位置し、北部と東部、西部を山に囲まれ、南部は広大な盆地となっている。市の行政区域内には、1市2区10県を管轄する。人口1,026万人、面積26,600平方キロメートル。河南省の中でも面積、人口ともに最大の都市である。

 市人民政府所在地 中国河南省南陽市中州路291号

 主な観光地 漢画館、武候祠、医聖祠(右の関連情報をご覧ください。)

中国略地図


中国南陽市概要

中国南陽市は中国の中央部に位置し、古代から文明が栄えていた。
中国南陽市は、河南省南西部の2つの山系に囲まれた平坦な地形の南陽盆地に位置し、河南省南西部の中心都市である。
中国の歴史や文化の中でも有名な都市の一つであり、悠久の歴史と卓越した文化を持ち、地理的条件と豊富な資源に恵まれている。
1985年に開放都市となり、1986年に国家歴史文化都市に指定された。1994年10月に中国中央政府の命令により、それまでの南陽市を含む南陽地区を廃し、新しい南陽市となった。以前の南陽市は臥龍区となり、新しい南陽市は1市2区10県を直轄し、人口1,026万人、面積26,600平方キロメートルの中国でも5指に入る大都市となった。
南陽市は改革開放依頼、世界各地と互いに訪問をしながら友好を密接にし、現在数十か国との間で文化・経済・技術等の交流を行い、100余りの合資企業が工場を建設し操業している。
このように中国南陽市は国際市場を求め、経済発展と現代化に力を入れ、海外実業家の投資を歓迎し、市の開発、振興、繁栄を求めている。

歴史

南陽の歴史は古く、漢代武帝が故郷の南陽を中国の第2の大都市に建設し、天下が変わる中、数千年の間大郡の都としての誉れを受けた。
また、漢方医の理論の基礎を作った張仲景、世界でもっとも早く天体模型と地震予報儀を作った張衡、三国志で有名な軍師の諸葛亮孔明、蜀漢の五虎将の一人として有名な老将軍黄忠といった人物を輩出している。
特に三国志では劉備が劉表に身を寄せ「髀肉の嘆」の故事をつくった新野城や軍師徐庶との出会いと別離、諸葛亮孔明を三顧の礼によって軍師として迎える等の有名な場面はこの中国南陽市が舞台。
南陽の歴史を物語るようにいたるところに名勝や旧跡があり、美しい自然環境と調和している。漢画館、武候祠、医聖祠、張衡の墓、宝天曼森林公園、博物館、世界の収蔵量の96%を占めると言われる恐竜の卵の化石などがあり、観光や学術研究で多くの人が訪れている。

産業

南陽市の鉱物資源は豊富で、金・銀・銅・鉄・天然ソーダなどが生産され、また南陽の油田は中国4大油田の一つである。南陽独玉は四大名玉の一つで、御影石・大理石は品質も高く、量も豊富である。
南陽市は亜熱帯と温帯の境に位置し、四季が分かれており、気候が穏やかで雨量もほどほどであり、多くの作物の成長に適している。
主な農産物は小麦・綿花・胡麻・たばこ・茶・大豆・繭・漢方薬などで、特に南陽黄牛は内外に有名である。果樹も栽培され、みかん・りんご・桃・梨・ぶどう・キウイなどの中国の有名な農業生産地の一つになっている。
工業部門は数十年の歳月で発達し、主に機械・化学工業・製薬・紡繊・電気器具・鉱産物・工芸美術などの業種がある。この中でアルコール工場(産業用)はアジア最大の工場として知られ、また、紡繊は全省最大のシルク生産可能な工場があり、その商品は国内外及び東南アジアに輸出されている。玉の工芸品や大理石なども優れており、30か国余りに輸出されている。

交通・通信

ここ数年で南陽市は交通や通信面で重要視され、国道・鉄道・空港が建設された。空港からは北京・西安・広州・桂林などへの路線があり、また電話通信も増加し世界各地へ直接通話ができるようになった。大規模河川工事も計画され、重要な水上航路になると思われる。