南陽市の代表的な板碑
南陽市の代表的な板碑
南陽市内の代表的な板碑 |
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嘉暦二年大日板碑 |
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竹原の龍雲院の裏山斜面に直立する。碑面の上部にバン(金剛界大日如来)の種子を薬研彫に刻む。嘉暦二年(1327年)は鎌倉時代末期にあたる。実に雄大で均整のとれたもので、少しの破損もない板碑である。(山形県指定有形文化財) |
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正慶二年阿弥陀板碑・永仁□年阿弥陀板碑右側が正慶の板碑で、左側が永仁の板碑です。ともに碑面の上部にキリーク(阿弥陀如来)の種子を刻んでいます。永仁は鎌倉時代中期ですが年月は摩滅しています。正慶二年(1333年)は南北朝時代初期の北朝年号で、南朝の元弘三年にあたります。この板碑は正慶二年2月に建てられました。楠正成が千早城で鎌倉幕府軍と戦っていた頃にあたります。 (ともに山形県指定有形文化財) |
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元弘三年阿弥陀板碑松沢の八幡神社入口に立つ。元弘三年10月に建てられた。碑面の上部にキリーク(弥陀)、一段下げてサ(観音)、サク(勢至)の種子を薬研彫にしている。元弘三年(1333年)は南朝年号で、この年の5月には鎌倉幕府が滅亡しています。(山形県指定有形文化財) |
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文和三年阿弥陀板碑漆山の字大仏に立つ。その地名のとおり大きな板碑で、高さは4.24m、山形県内第2位の巨大な板碑です。碑面には弥陀を表す大きな種子(キリーク)と蓮華台座が刻まれています。文和三年(1354年)は南北朝時代の北朝年号です。(山形県指定有形文化財) |