埋蔵文化財ニュース
埋蔵文化財ニュースを更新しました!南陽市内で調査が行われた遺跡について、わかりやすく紹介する「埋蔵文化財ニュース」です。
遺跡が身近にあるということ、その遺跡がどのようなものであるかを知っていただき、郷土の歴史に興味を持っていただければ幸いです。
「埋蔵文化財ニュース」は、年数回更新を行い市内の遺跡を紹介します。基礎的な用語についても随時解説しますので、ぜひご一読ください。
(※右側にバックナンバー(PDF)もありますので、あわせてご覧ください。)
今回は、「蒲生田山古墳群(かもうだやまこふんぐん)」をご紹介します。
◎遺跡の概要と調査経過
「蒲生田山古墳群」は、JR赤湯駅から北東に約2.5km、南陽市上野(わの)に位置します。標高280~290mの丘陵地で、1号墳(円墳)・2号墳(前方後円墳)・3~4号墳(前方後方墳)が確認されています。1号墳は古墳時代終末8世紀頃、2~4号墳は古墳時代前期の4世紀代と考えられています。
今回ご紹介するのは、平成元年度から平成2年度に実施した3~4号墳の調査結果です。1号墳(円墳)は、南陽市の指定文化財として現状保存を継続しています。2号墳(前方後円墳)も現状保存とされましたが、後世の開墾等により墳頂部が削られています。
◎蒲生田山古墳群全景
◎調査地形図
※図上の線は同じ高さを示す等高線です。土地の起伏等がわかり、等高線同士が密であればあるほど急傾斜、逆であれば緩斜面となります。下の図から、自然地形を人工的に変えている様子がわかります。
※3号墳 前方後方墳 全長 28.8m
※4号墳 前方後方墳 全長 29m
◎蒲生田山古墳群の調査成果
①検出された主な遺構
※3号墳
標高約295 mの位置にあります。全長28.8 m、前方部長さ11.2m、後方部長さ17.6 m。周濠(※1)が全周していることがわかりました。畑地として開墾した際に墳丘が削られており、主体部(埋葬部)は失われていました。
※4号墳
標高287 mの位置にあり、3号墳とは直線距離にして約48 m南側、山の下手に位置します。全長29.0 m、前方部長さ11.5 m、後方部長さ17.5 m。3号墳同様、開墾により墳丘の上部が削られており、主体部(埋葬部)も失われていました。
②検出された遺物
※3号墳
南西側の周濠内くびれ部(※2)や前方部前端に遺物が集中しており、土師器の底部穿孔壺(ていぶせんこうつぼ ※3)が特徴的です。
※4号墳
西側くびれ部周濠内の高まりに土坑(どこう ※4)があり、その中央に土師器壺が配置されているのが確認されました。また後方部周濠内から土師器底部穿孔壺破片などが多く出土しました。
4号墳発掘の様子
土器検出の様子
◎まとめ
「蒲生田山古墳群」は、明治、大正~昭和期の発掘により十数基の終末期古墳群としてその存在は知られていましたが、近代における葡萄畑の開墾・整地などでそのほとんどが破壊され消滅したものと考えられていました。しかし、開発事業に伴なって行われた調査により、3基の古墳を新規に発見し、うち開発事業区域内の3~4号墳の2基について発掘調査を行いました。その結果、2基とも知られていた古墳群とは時期が異なる古墳時代前期の前方後方墳であることがわかりました。
出土遺物から、3 号墳は4世紀中葉(ちゅうよう※5)、4号墳は4世紀前葉に相当する古墳と推定されます。そして遺物が出土しなかった2号墳については墳形から考慮してこれらより新しいものとみられ、4号墳→3号墳→2号墳の順に築造されたものと考えています。この調査には直接関係しませんが、1号墳(円墳)は形状等から8世紀頃の古墳時代終末期のものと考えられます。
現在の1号墳(令和4年11月撮影)
<遺跡までのアクセス>
JR赤湯駅から車で約5分。徒歩約45分です。1号墳は外から見ることはできますが、周辺の建物や敷地には立ち入りできませんのでご注意ください。また冬期間は積雪のため見ることができません。
用語説明
埋蔵文化財(まいぞうぶんかざい) | 土地に埋蔵されている文化財のこと。具体的には、貝塚・集落跡・古墳・城跡などの遺構と、土器・石器・木製品・金属製品など遺物を指す。 |
遺跡(いせき) | 文化財が埋蔵されている土地のこと。埋蔵文化財包蔵地。 |
古墳(こふん) | 3世紀後半から約400年の間に作られた土を盛り上げた墳丘をもつお墓。 |
前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん) | 丸い古墳(円墳 えんぷん)と四角い古墳(方墳 ほうふん)をつなげたような形状をした古墳。 |
前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん) | 四角い古墳(方墳ほうふん)を2つつなげたような形状をした古墳。 |
遺構・遺物(いこう・いぶつ) | 遺構は、過去の人間が残した建物跡や柱穴等の動かすことができないものの総称。遺物は、過去の人間が残した土器や石器等の動かすことができるものの総称。 |
土師器(はじき) | 野焼きで焼かれた茶褐色の土器。弥生時代からの技術を引き継いだもの。煮炊きや食器用として使われたと考えられる。 |
須恵器(すえき) | 元々は古墳時代に朝鮮半島から伝わった青灰色の硬い土器。高温の窯で焼かれ、貯蔵用や食器として使われたと考えられる。 |
古墳時代(こふんじだい) | 弥生時代に続く3世紀後半から概ね7~8世紀(地域によって異なる)の時代。大型古墳の建造や鉄器の普及など大きな変化があった。地方によって終期には議論がある。 |
周濠(しゅうごう)※1 | 古墳の周囲を巡る溝。水を湛えたとみられるものを周濠、そうではないものを周溝(しゅうこう)という。 |
くびれ部(くびれぶ)※2 | 古墳の前部と後部の境付近をさす。 |
底部穿孔壺(ていぶせんこうつぼ)※3 | 土器の底部に意図的に穴を開けたもので、儀式的な意味合いを持つと考えられる。 |
土坑(どこう)※4 | 人為的に掘りくぼめられた穴状の遺構。 |
4世紀中葉(ちゅうよう)※5 | 時期を前葉・中葉・後葉の3分割にしたもの。この場合は1世紀を3分割した考え方。 |