埋蔵文化財ニュース

埋蔵文化財ニュースを更新しました!

南陽市内で調査が行われた遺跡について、わかりやすく紹介する「埋蔵文化財ニュース」です。
遺跡が身近にあるということ、その遺跡がどのようなものであるかを知っていただき、郷土の歴史に興味を持っていただければ幸いです。
「埋蔵文化財ニュース」は、年数回更新を行い市内の遺跡を紹介します。基礎的な用語についても随時解説しますので、ぜひご一読ください。
(※右側にバックナンバー(PDF)もありますので、あわせてご覧ください。)

今回は、「岩屋堂遺跡(いわやどういせき)」をご紹介します。

◎遺跡の場所と調査経過

「岩屋堂遺跡」は、JR中川駅から北西約0.7㎞の国道13号沿いに位置する遺跡です。南には隣接する複合遺跡(※1)「加藤屋敷遺跡(かとうやしきいせき)」があります。平成28年度調査の結果、縄文時代の遺物が確認されました。今回の「埋蔵文化財ニュース」では、この調査成果を中心にご紹介させていただきます。


※中央左の黒枠N-10の範囲が「岩屋堂遺跡」(南陽市遺跡地図より)
 
◎平成28年度調査の概要 

平成27年度に実施した試掘調査の結果を受け、東西20m×南北40m、800㎡を調査区とし平成28年度に発掘調査を実施しました。この調査では遺構は検出されませんでしたが、縄文土器(※2)がまとまって出土しました。


※調査区配置図


※発掘調査の様子(表土除去後、遺構確認のための清掃作業)


※調査区完掘写真

◎主な出土遺物

※出土した縄文土器(小型深鉢)

※出土した縄文土器(小型深鉢 接合し一部復元 右上から左下へ縄目が見える)



※出土した土器片の一部(いずれも縄文土器)

◎「岩屋堂遺跡」はどんな遺跡か?

①出土した縄文土器を分析した結果、「大洞式(おおほらしき)(※3)」と呼ばれる縄文土器が多く、縄文時代晩期(紀元前1,000年~紀元前300年頃)(※4)ものと考えられます。

②調査区内から遺構が検出されなかったことから、周辺にあった集落跡が何らかの理由で崩れ、流れ込んだものと思われます。また出土した遺物を詳しく観ると、「縄文時代晩期」でもさらに時代差が見られ集落のあった時期にやや幅がある可能性があります。

③調査区の埋没谷から採取した炭化材を「放射性炭素年代測定法(※5)」で分析した結果、「縄文時代後期(紀元前2,000年頃)」との結果が出ました。さらに樹種の特定を実施したところ、広葉樹であるカツラ属のものとトチノキであることがわかりました。これらの樹種は温暖で肥沃な場所に育つことから、当時(縄文時代後期)のこの辺りの気候が温暖であったことがわかりました。

 <遺跡までのアクセス>
「JR中川駅」から北西へ約0.7kmで徒歩約10分。国道13号の西側に広がる遺跡で、特別養護老人ホーム付近が遺跡の北端、ライフル射撃場付近が遺跡の南端にあたります。外見上、遺跡とわかる状況ではありません。空き地であっても無断立入等は絶対にしないでください。

用語説明
埋蔵文化財 土地に埋蔵されている文化財のこと。具体的には、貝塚・集落跡・古墳・城跡などの遺構と、土器・石器・木製品・金属製品など遺物を指す。
遺跡 文化財が埋蔵されている土地のこと。埋蔵文化財包蔵地。
古墳 3世紀後半から約400年の間に作られた土を盛り上げた墳丘をもつお墓。
前方後円墳 丸い古墳(円墳 えんぷん)と四角い古墳(方墳 ほうふん)をつなげたような形状をした古墳。
遺構・遺物
(いこう・いぶつ)
遺構は、過去の人間が残した建物跡や柱穴等の動かすことができないものの総称。遺物は、過去の人間が残した土器や石器等の動かすことができるものの総称。
複合遺跡(※1) 2つ以上の時期に渡る遺跡をいう。
縄文土器(※2) 縄文時代の土器の総称。縄目が施されたことに由来するが、全ての土器に縄目があるわけではない。線や押型などの文様もある。年代や地域によって中心となる形は様々。
大洞式(おおほらしき)(※3) 岩手県大船渡市の大洞貝塚(縄文時代晩期)から出土した土器を資料として、東北地方の縄文時代晩期の土器を6つの時代に細分化したもの。
縄文時代晩期(※4) 縄文土器の使用された時代。諸説あるが、約12,000年前から約2,400年前まで続いたとされる。一般的には、土器の違いにより、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に区分される。
放射性炭素年代測定法(※5) 自然界に存在する炭素の内、放射性同位体と呼ばれる炭素14が規則的に減少する性質を利用した年代測定方法。
【更新日 令和4年4月28日】