埋蔵文化財ニュース

埋蔵文化財ニュースを更新しました!

南陽市内で調査が行われた遺跡について、わかりやすく紹介する「埋蔵文化財ニュース」です。
遺跡が身近にあるということ、その遺跡がどのような性格のものであるかを知っていただき、郷土の歴史に興味を持っていただけるきっかけになれば幸いです。
「埋蔵文化財ニュース」は、年数回更新を行い、市内の遺跡を紹介します。基礎的な用語についても随時解説しますので、ぜひご一読ください。
(※右側にバックナンバー(PDF)もありますので、合わせて御覧ください。)

今回は、「沢田遺跡(さわだいせき)」をご紹介します。

◎遺跡の位置と調査経過

「沢田遺跡」は、「JR赤湯駅」「山形鉄道フラワー長井線」の西側、若狭郷屋・島貫・郡山地区に広がる遺跡です。この遺跡は広範囲に及ぶことから、開発事業等に合わせて複数回調査が行われてきました。昭和58~59年に山形県教育委員会、平成元・2・4年に南陽市教育委員会、平成26年度には「南陽消防署」建設計画が立てられたことから、平成27年度に当市教育委員会が建設に先立ち試掘調査及び発掘調査を実施しました。今回の「埋蔵文化財ニュース」では平成27年度の調査成果を中心に紹介させていただきます。
 
◎平成27年度調査の概要 

「南陽消防署」建設地は、「JR赤湯駅」「山形鉄道フラワー長井線」から約200m西の地点です。この調査により見つかった遺構(※1)は、竪穴住居跡(※2)4棟・土坑(※3)1基・ピット(※4)数基で集落遺跡と思われます。竪穴住居跡の一部では、カマドや煙道の痕跡や焼土が確認されており、貯蔵用の甕(※5)が良好な状態で出土しました。土坑からは木柱の痕跡が確認されたことから、掘立柱建物の柱穴跡と見られ、ここからは須恵器(※6)坏(※7)が出土しました。


※沢田遺跡調査区全景(写真上方向が南陽市防災センター、JR赤湯駅方面)


※調査箇所図

◎主な出土遺物

※竪穴住居跡から出土した土器(上:土師器(※8)下:須恵器)

※上の出土状況写真の土器を接合・一部復元したもの

◎平成27年度以前の「沢田遺跡」の調査履歴及び結果

①昭和58~59年 山形県教育委員会による調査
→竪穴住居跡6 棟と掘立柱建物跡(※9)4棟、集石遺構(※10)などの遺構が確認され、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良~平安時代の土器が出土しました。

②平成元・2・4年 南陽市教育委員会による調査
→焼失家屋とみられる竪穴住居跡が良好な状態で確認されており、7 世紀末~ 8 世紀初頭のものとみられる多量の土師器や須恵器の土器や円面硯(※11)等が出土しました。また遺構外から弥生時代、古墳時代、奈良~平安時代の土器が出土しました。郡衙(昔の役所)の役人が住んでいたと考えています。

◎「沢田遺跡」はどんな遺跡か?

①「沢田遺跡」は竪穴住居跡で構成され、区画施設などが確認できないことから一般集落遺跡と思われます。

➁「沢田遺跡」は周囲を8世紀後半~9世紀末の官衙的遺跡(※12)唐越遺跡、中落合遺跡、庚壇遺跡、矢ノ目館跡 ※13)に囲まれており、それらの遺跡と関係する人の居住地域として利用された場所と思われます。

 <遺跡までのアクセス>
 「JR赤湯駅」」「山形鉄道フラワー長井線」から西へ徒歩約5分。若狭郷屋・島貫・郡山地区に広がる遺跡で、現在の「南陽消防署」付近が遺跡の西端にあたります。外見上、遺跡とわかる状況ではありません。空き地であっても無断立入は絶対にしないでください。

用語説明
埋蔵文化財 土地に埋蔵されている文化財のこと。具体的には、貝塚・集落跡・古墳・城跡などの遺構と、土器・石器・木製品・金属製品など遺物を指す。
遺跡 文化財が埋蔵されている土地のこと。埋蔵文化財包蔵地。
古墳 3世紀後半から約400年の間に作られた土を盛り上げた墳丘をもつお墓。
前方後円墳 丸い古墳(円墳 えんぷん)と四角い古墳(方墳 ほうふん)をつなげたような形状をした古墳。
遺構(※1)(いこう) 過去の人間が残した建物跡や柱穴等の動かすことができないものの総称。
竪穴住居跡(※2)(たてあなじゅうきょあと) 地面を掘り、円形や方形の床を作りその上に屋根を作った半地下式の住居。旧石器時代から中世まで作られた。
土坑(※3)(どこう) 人間が掘ったある程度の深さと大きさの掘り込み。墓や貯蔵庫、祭祀に伴うもの等、様々な性格を持つ。
ピット(※4) 一般的には直径1mくらいまでの性格がはっきりしない穴のことを指す。1mを超えるものは「土坑」という場合が多い。
甕(※5)(かめ) 真横から見た場合、横が最も大きな場所(最大径)が高さの半分より上にあるもの。火にあたる部分を大きくとるための形とみられ、煮炊き用に使用されたと考えられる土器。「壺」は最大径が高さの半分より下にくるものが多く、貯蔵用に使用されたと考えられる。
須恵器(※6)(すえき) 古墳時代中期(5世紀)以降、朝鮮半島から製作技術が伝わり、生産が始まったとされる。窯を使用して高温で焼かれ、青灰色で硬い特徴を持つ 。
坏(※7)(つき) 古代において一般的な食物などを盛る器。通常、椀は坏より深く、皿は坏より浅いものを指す。
土師器(※8)(はじき) 弥生土器同様に野焼きで焼かれた茶褐色で須恵器より軟らかい器。
掘立柱建物跡(※9)(ほったてばしらたてものあと) 半地下式の竪穴住居に対して、地上式の建物。縄文時代では倉庫や神殿などの限られた用途の施設として作られたが、徐々に住居として普及し平安時代終わりころには全国に広まった。
集石遺構(※10)(しゅうせきいこう) 何らかの目的のため一定の大きさの石を集めた場所。縄文時代の遺跡では調理に関連する遺構の場合もある。
円面硯(※11)(えんめんけん) 円形のすずり。
官衙的遺跡(※12)(かんがてきいせき) 古代日本における役所やそれに付随するものを指す。唐越遺跡は 、古代律令制下で 置賜地方を治めた 役所 「郡山郡衙」の一角を成す遺跡の可能性がある。
唐越遺跡、中落合遺跡、庚壇遺跡、矢ノ目館跡 ※13 ◎唐越遺跡(からこしいせき)
三間通字唐越付近。南陽市民文化会館周辺の奈良・平安時代の遺跡。掘立柱建物跡等が規則的な配置で多数確認された。古代郡衙との関連が想定される。
◎中落合遺跡(なかおちあいいせき)
中落合字前田付近。主に古墳・奈良・平安時代の遺跡。計画的に配置されたとみられる区画施設跡等が確認された。古代郡衙との関連が想定される。
◎庚壇遺跡(かのえだんいせき)
長瀞字庚壇付近。弥生・古墳・奈良・平安時代の遺跡。溝跡から官衙関係の遺物が出土している。
◎矢ノ目館跡(やのめたてあと)
郡山字沢無下付近。奈良・平安・中世時代の遺跡。平安初期の遺構として掘立柱建物跡が確認されている。中世末期には伊達家家臣矢ノ目市三郎の館があった。