市内の城館祉
市内の城館祉
宮沢城(別名、宮内城または三桜城)・・・伊達家に属した戦国時代の城 |
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市内宮内の熊野大社の300mほど北に宮沢城址があります。宮沢城は別名、宮内城、三桜城とも呼ばれ伊達の家臣大津土佐守が居住していたと伝えられています。石垣のない土累で築かれた戦国時代の城です。現在、城址は果樹園になっており、また、周囲の堀は水田になっています。 | |
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宮沢城位置図 |
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宮沢城及び周辺推定図宮沢城は宮内の菖蒲沢地区にあります。中心の宮沢城を取り囲むように出城のような館が分布しています。 |
宮沢城近景写真
宮沢城本丸から宮内方向を見る。 | |
宮沢城大手丸付近(南から) | |
南から見た宮沢城 |
市指定史跡 二色根館跡・・・伊達氏に仕えた土着武将の城 |
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市内赤湯の二色根薬師寺の西方、二色根山の頂上に位置している。空堀と険しい崖に囲まれた館跡です。粟野十郎左衛門または粟野喜右衛門が居住したと伝えられています。市指定史跡。 |
小滝城・・・伊達と最上、戦国大名の覇権争いの最前線基地! |
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小滝地区は最上領と伊達領の国境にあたり、ふたつの街道が合流する重要地で、小滝城は伊達氏の最前線の防衛拠点として築かれました。戦国の世の緊迫が伝わってきそうな大規模で堅固な山城です。 |
大橋城・・・伊達家重臣の居城 |
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大橋城は、伊達氏9代目の儀山政宗が築いた城で、応永5年(1398年)に湯目氏の居城となりました。湯目氏は伊達家の重臣として知られた武将です。大橋城は天然の河川や地形を巧みに利用した平城で、本丸は正方形に近い形をしています。
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岩部山館(月見ケ城):中川地区 | 虚空蔵山館(星見ケ城):中川地区 |
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