こども歴史教室 古墳時代 稲作と豪族2

 
土器を見るきつね

古墳時代は、おおよそ3世紀後半から7世紀ころまでをさします。小さなクニの集まりだった日本がしだいに統一され、全国的に文化の交流がさかんになり、日本各地で前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)がつくられるようになりました。南陽市の蒲生田山古墳群(かもうだやまこふんぐん)は東北地方でも最古の古墳のひとつで、4世紀はじめにつくられました。さらに4世紀後半になると山形県最大、東北地方第6位の大きさの稲荷森古墳(いなりもりこふん、全長96メートル)がつくられました。市内には古墳時代前期から終末期までの数多くの古墳があります。

南陽市の古墳と発掘された古墳時代の遺物

古墳時代前期
写真1蒲生田山古墳
蒲生田山古墳群(4号墳)
写真2稲荷森古墳
稲荷森古墳(国指定史跡)
写真3古墳出土の土器
稲荷森古墳出土高坏(左)、蒲生田山3号墳出土底部穿孔坪(中)、蒲生田山4号墳出土壺(右)

古墳時代後期
写真4松沢古墳群写真
松沢古墳群(2号墳)。珍しい積石塚古墳、合掌型石室を持っています。

写真5土器


松沢1号墳から見つかった土器
図面、石室
松沢2号墳石室図面

古墳時代終末期(奈良時代)
写真6二色根古墳
二色根古墳群(2号墳)
図面、鉄製品
二色根2号墳から見つかった矢じり等
写真7古墳出土の土器
上野山古墳群の土器
写真8狸沢山古墳の土器
狸沢山古墳群の須恵器(すえき)
写真9狸沢山古墳の土器
狸沢山古墳群の須恵器
写真10勾玉
烏帽子山古墳のまがたま

注:東北地方では、奈良時代になっても小さな古墳群がつくられつづけました。この奈良時代の古墳を終末期古墳と呼んでいます。